昭和44年2月9日 朝の御理解
御理解第22節「天地金乃神といえば、天地一目に見ておるぞ。神は平等におかげを授けるが、受け物が悪ければおかげが漏るぞ。神の徳を十分に受けようと思えば、ままよという心を出さねばおかげは受けられぬ。ままよとは死んでもままよのことぞ」
天地金乃神といえば、天地を一目に見ておるぞと。私共が、生神金光大神のお取次ぎを頂いて、頂いておる拝ませて頂いておる、神様とはやっぱそういう方ですね。天地を一目に見ておるぞと仰せられるような神様。天地を一目に見ておるぞと。
しかもその神様は、平等におかげを授けるとこう。これは日本人だけではない。ね、世界中。まぁありとあらゆる、あらゆる人の上におかげを平等に下さってあるということです。これは人間だけじゃにないですね、もう生きとし生けるもの、全ての上に、やはりおかげを送らせる、てある神様。
けれども、おかげ、受け物が悪ければおかげが漏るぞ、とこう仰る。ここに、大変幸せな人。幸せでない人という差が出てくるわけですね。
これは私が頂いておる御理解の中にも、おかげというのは、丁度降るようにあって。丁度雨が降っておるように、降るようにあって。私共が様々なおかげを願わせてもらうですね。そのおかげは、もう降るように。その降るようにあっておるおかげを、こちらがよう頂かん。
ね、そこで、それを頂き止めるために、大地に平伏したとかね、大地、大地に平伏したような信心をせよって。ね、大地を持って受けとめれれば、こりゃ受け止められんですね。そこで、その大地のような、大地の性格っというかね。いわば、あのどろのような信心というのが、求められるわけなんです。
ね、本当に、不平もなからなければ不足もない。ね、しかもどういう汚いものを大地に持っていっても、それを沃土に化してしまう。そういうように、ものを育てる働き。そういう心。どろのような心にならせて頂く。大地のような心にならせて頂く。そこから、いわば、降るようにあっておるおかげを、間違いなく受け止めることができる。
ね、だから、ここに不平もなからなければ、不足もないという世界。どろのような信心とは、まぁそういうようなことですね。そういう風に、まぁ何時も頂きますね。
だから、そういう受けもの作りに、一生懸命ならせてもらうことを、まぁ日々お互い頂いておる。ところが、神の徳を十分に受けようと思えば、ままよという心をださねば、とこういっておられる。
神の徳を十分に、そこで、ここで思われることはね、神を徳を頂けば、神の徳を十分に受ければ、おかげが受けられることが分かりますね。
そすとその神の徳を、この十分に受けようと思えば、ままよという心を出さねば。しかもそのままよとは、死んでもままよなことぞ、とこう仰る。ね、こげんなってまいります時に、なかなかあの御理解の深さを感じます。また難しさを感じます。
死んでもままよ。そういう心になれば、十分徳が受けられる。そこで、ここんところを、私共が様々な願い、おかげを願わしてもらう。お願いをしたい。おかげを頂きたいばっかりに一生懸命参る。その例えば、ままよというのは、もうそういう願っておるおかげもう、どうでも良いというような心になる、という風にここじゃ説かれます。何時も、そういう風に説いておりますね。
教祖様のご時代にあの、3年3年、また3年というお話がありますね。教祖様のご時代に、ある盲目の方がお参りによってきた、めくらさんだ。ね、い神様どうぞ、この目を開けて下さいというて願われた。そこで教祖様3年間の日をきって願うと仰った。ね、そこでそのめくらさん毎日毎日それこそ杖を頼りに、お広前通いを3年間続けた。
ところが、満願は来たけれども、目は開かなかったというのである。まぁこっちで、まぁ信心辛抱するでは、もう3年おい願いをせよというので、また3年間の日をきって願われた。つごう6年。
ところがです、6年間お参りを続けていきよるうちにです、段々なるほど目は開かなかったけれども、教えの有り難さが分かって来た。ね、はー有り難い神様だと、教えが身に付いてきた。
教えを行じさせて頂くことの有り難さが分かって来た。6年目になって。そして、そこで思われたこと。ね、もう目は開かんでも、これほどの有り難い神様を頂いておるのであり、これほど有り難い神様のお恵みを受けておるのであるから、もう何が欲をいおうかと。私はもうこれで幸せだという心が開けてきたというのです。
ね、その次の3年間は、もうただただ有り難い勿体ないの信心が続いた。つごう9年間、そういう信心、段階を踏みながら信心が続いたんですね。この目を開けてもらいたいばっかいりに一生懸命参っておったのが、6年目にはもう、この目は開かなくてもという。
このような有り難い神様のご守護を受けておるのである、このようなおかげを受けておるのである。教えが身に付いてきた。血に肉なってきた。有り難い生活ができるようにうなってきた。
そうして3年間また続けられて丁度つごう3年3年、また3年というその9年目に願わかなった、もう思わなかった、欲しなかったその目が、見事開眼のおかげを受けたという話が残っております。
ね、ですから、その、自分達の願い。どうぞ助けて下さい、助けて下さいという、その助けて下さいという心がです、ね、段々変わってくる。神様の有り難さが分かってくる。日常生活がです、このようにも間違うておった生活をしておった。
天地金乃神様のおかげを頂かなければ、ここ一寸動けぬほどのおかげを頂きながら、神を神とも知らずに、御恩を御恩とも知らずに、忘恩の生活をしてきたことが分かってきて、お詫びの生活が始まり、お礼の生活が始まり。ね、有り難い、幸せな生活がそこから頂けてくる。
そこから願うということがなくなってくる。ね、もう目は開かんでもよい。よう、それこそ、死んでもままよという心が生まれた。そこから死なさにゃ、死なさしちゃおかん。開かさにゃおかんという、いわばおかげが頂けるという風に頂き、まぁそれも本当ですから、そういう信心を頂くことは大変有り難いけれども、そりゃそこが生身である凡夫ですから、もう本当に助けてもらいたいと、この願いはとてもね、助けてもらいたいという心は、のか、なかなかのきそうにもない。教えは分かってきても。
例えばここに病人なら病人、この病人を助けてもらいたいばっかりに一生懸命参ってるんですよ私は、というても私は良いという、思うです。ね、そこでです、例えばなら、自分の息子のことを願わせてもろうた。そりゃ息子が助かるようにというて願うた。ね、その息子が右になろうが、左になろうが、死のうが生きろうが、もうままよということになったというのではなくて、やはりその息子は親としてどうでも助けなければおかれん。
あぁいうようなことでは、ね、あぁいうようなことでは、幸せにはなれない。あぁいうようなことでは助からない。どうぞ、その息子を助けて下さい。助けて下さいというその一念がです、それで、今日ここんところをですね、どうぞそのためにならです、親のこの命をお取り上げになられても構いませんというのだと、私は今日はここは感じた。
ね、もうおかげはどうでも良い。死んでもままよというのは、そういうものだと思うて、説いて、それも本当なの。ね、まだ3年、3年。まだ3年という、その御理解の中からそれを感ずるでしょう。
ね、親は子供のこと願うです。子供が幸せな道を歩いてくれりゃ良いけれども、幸せでない道を歩いておるとするなら、または、もう瀕死の重態であるとするなら、助けたいのが親心でしょうもん。
そういう間違った道を歩いておるとするなら、そこをまともな道に帰ってもらわなければ、親としてはたまらんでしょうが。そこで神様、そのおかげを下さるのならば、私の命は(召されても?)いといませんという、私は死んでもままよとはそんなことだと私は思うです。今日、今日ここでは。
ね、いわば願っておるそのことではなくてです、ね、こちらの方なん。私が死んでも良いというのである。私が死んでも良いから、このおかげだけは、どうでもおかげ下さい。だから今までとは。いやこの辺が、反対なんですね。
私が死んでも良い。ね、死んでもままよという心出せばです、けれどもそこには、一つの神様の約束というかね、十分の徳を授けて下さる道がそこから開けてくる。これが素晴らしい、ね、最近お徳を受ける、お徳を受けるということをいうが、お徳を受ける、いわば決めでもある。
もう二十何年も前だったでしょうかね、私のいよいよ、様々な修行がもういよいよ、まぁ(た?)いわゆる厳しゅうなってきたころでした。
御本部に、月参りをさせて頂いておる時です。その時に、に写っておる写真が今ございますが、もう本当におせば倒れるような、くの字になって体が立って写っとりますけども、くの字になっておるような感じに、もう七十ぐらいのおじいさんのような感じですよ。もう断食から断食が続いておる時です。
もう夜もねむらん。というような、修行で一生懸命の時でした。もう神様から、次々と色んなお知らせを頂く時でした。もう汽車の中でもうずっと私は、ご本部参拝するのに、いすに腰かけたことがなかった。席に。もしそれでも、どうでもかけんならん時には、後ろの背中をつけませんでした。
もう体は(体ごつこう浮かして?)後ろへこうやって、ね、こうやって、そのなんかかって行くのは楽ですけれども、まぁそうして何か、修行でもしておかなければおられないという時代でした。もうその代わり神様からもう、それこそ様々な有り難いお知らせを頂いたり、神様が、まぁそれこそ、桂先生と(もうしぎゃ?)、桂先生が出て下さり。ね、石橋先生といや、石橋先生が、それに対して返事をして下さるというほどしの、時分の時でした。
★私はそれは、今は何処の、どの辺のことかを今でも覚えませんです。もう大変、もう寂しい駅でした。
それ前からずっとこう私に話しかけて下さるんですよね、大坪の家のめぐりの深さということを。ね、ですからね、どうでもここにね、尊い命をここに(うっぱめなければ?)大坪の家が助からんと仰る。
それで、お前がね、この命を捨てさえすりゃ、後が立つぞ。(まぁ?)頂いても、なかなか命を捨てるということですから、なかなか決心がつきません。私が思い迷うておりましたらね。デッキに出れて(みなさんごしょうが?)デッキに出ますと、私がね、ちり紙をこうやって、持っとった。
そのちり紙をね、外へこうやって、出してみれと仰るけん出したんですよ。もう進行中汽車、進行中。して私が放したんです。ね、放した(こちらに?)この放したらね、その、あのちり紙ね、汽車についてくるじゃないですか。ずーっと。もう実に驚きました。
ほー、神様の働きちゃこういう働きもお出来んなる神様が、今私に死ねと仰るのだから、よし、そんなら死のうという気になった。次の駅に来た時には、何処の駅か分かりませんでした。
もう田舎の小さい駅でした。ですから私は、あの、すぐデッキに下りてから。汽車の下に入りました。もうそん時私は驚きましたことは、あの汽車の下の(からだ?)下から見るとですね、あの車の大きいのに驚きました。もう(いわされる?)ように大きいですよ。
汽車な、下に入ったあの、車っていうですか。もう無我夢中ですから、生神金光大神様生神金光大神様で(はなして?)頂いておったらですね、もうどのくらい中におったか覚えません。無我夢中で。けどもそん時にですね、もうそれこそ「出よ」というその、お言葉と同時にどうして上がったか、どうして汽車に乗ったか分からん。もう汽車が動き出しよった。
もう私はそん時には、もうそれこそもう、(こん?)も生も尽き果てたちゃあのことだろうとこう思いましたが、あのデッキの足をかける、ね、(せっぷん?)ところへ、あそこへ腰をかけてから、片一方こう握ったままね。
生神金光大神様お願いさせて頂いた時に、初めて神様の世界を肉眼で見せて頂いたんです。もうこれはね、厳然として、教祖様がね、神様の、私共が、信心させて頂く者が、私共がお国替えを頂いたら絶対金光大神お取り次ぎの世界に、私共いけることだけは間違いないです。
またそこでお取り次ぎが頂かれる。教祖様がもう厳然として、御結界にお付になって、ご奉仕のお姿を拝ませて頂きました。これはもう十何年間、極秘て神様が仰って下さるから、申しま、申したことはございませんでしたけど。最近私が話しますけどね。
もう肉眼ではっきり神様の世界を拝ませて頂いたんです。ね、私は思いますのにね、本当にあの、ははー、あぁいうところを通った時に、まぁ私が頂いておる、もし徳を受けておるとするなら、受け、やはり十分の徳を受けようと思えば、ままよという心。ままよとは死んでもままよ。という心。そういうおかげをですね、頂いたんだと思います。
まぁその時の後先の話しは色々ございますがね、ん。そういうような時代も通らせて頂いたんですけれども、最近は、そういう、こういう結構(けだらけ?)のような、毎日を送らせて頂いておるもんですからね。それこそ助かりたい、(死にたいじゃ?)それこそ助かりたい。助かりたい。
ね、さぁ最近、ここ4、5日風邪具合が悪い。今日は、善導寺の久保山、宅祭りをいたします。宅祭りまでは、私が寝ては出来んからと思うてから、もう2時3時頃から休ませてもらうんです。ね、午前中だけは奉仕させて、それでもう風呂にも入らずに、はー、助かりたいばっかり。(笑い)
さぁ久保山んところのお祭りが、風邪ひいて頭痛うしてこたえん、ちいうようなこっちゃならんと思うてから、まぁそのことを目当てに、私が休ませて頂いた。そしたら今朝ね、ご神前に出らせて頂きましたら、もう一番初めに頂くとがね、★「芋の煮えたもご存知ない」というお言葉を頂く。「芋の煮えたもご存知ない」。
もう私は愕然といたしました。ね、そして、これじゃおかげはもう受けられんぞと。ね、例えば今のお知らせは、芽が出ると仰るです。芋のお知らせは。もう沢山な芽が出るもんです芋というものは。
もう合楽の教会も、もうこれまでぞと仰る。そのことをお前は気が付かんでおるじゃないか。それこそ「芋の煮えたもご存知ない」もう煮えた芋じゃ食べるだけだ。おかげを受けるだけなんだ。おかげは受けていけれるだろう。けれども、神の願いであるところの新しい信者氏子の助かりといったような働きになったこないぞと、これからは。
ね、ほりゃもう私本当に愕然としました、今朝。ご神前で。ね、そして、例えば私は今日、教典を開かせて頂きましたら、このご理解22節でございました。ね、そして、今まで死んでもままよとはです、おかげの方はもうどうでも良いという気になった時にはおかげが受けられる。これは、一つの定理です。定まった理です。確かにそうです。
ね、皆さんが一生懸命の、こうありたい、こうなりたいと願われるでしょう。して一生懸命信心させてもらいよるとです、信心の有り難さが分かってくるでしょう。と来たらです、もう願っておった事なんかどうでも良いことになってくるんですよ。本当に。
(とくにあん場合?)絶対おかげの受けられるという、そういう定めがあるんです。けども、これは、まぁいうならば、大変な難しいことを、3年、3年、又3年の例を申しましたようにです。けれども死んでもままよということは、十分の徳を受けようと思えば、死んでもままよ。
死んでもままよというのは、もうおかげはどうでも良い。もう例えば、息子んことお願いしよんなら、もう息子は死んだっちゃかんまんという気になればということですけれども。今日は、この死んでは、死んでもままよということは、私が死んでもままよという気になればということだと思う。
ね、どうぞ、息子を助けて下さい。娘を助けて下さいと。ね、その為には、私が死んでも構いませんという気になれ、ということだ。ね、そこにです、ね、私は十分の徳というのが受けられる。これはですね、私は案外安いのじゃなかろうかとこう。
ね、それが可愛い自分の子供である場合なんかは、もうそれこそ、もう昨日のご理解でもありましたね。ふ、ね、屑の子がありゃもうその屑の子を一緒に死んでしまいたい、という気がするでしょうが。
ね、ですから、ここに死んでしまうということは、大変厳しいことも、ぎりぎりの言葉ですから、大変な、そういうことですけれども、まぁいうならば一生懸命ということだと思うんです。
ね、ですから、お互いが願っておる、願っておる、その願いは、そのまま。どうぞ助けて下さい。そのかわりに、死んだ気で一生懸命頑張りますというですけん。厚いもなからなければ、寒いもないはずじゃないですか。
ね、今まで例えばです、ね、改まられなかったことでもです、死んだ気になれば改まれん事はないです。ね、★「死んだ気で、励め勤めよ徳も付くと。道も開ける、人も助かる」。これも二十年も前に、私が頂いたみ教えです。
ね、死ねじゃないです。死んだ気でということなの。ね、ですから、それどういうことかというと、一生懸命ということになるです。ね、もうしてみると朝参りなんか問題ではない。朝参りぐらいなことは、死んだ気ですりゃ、どげなこと出来んことなか。ということがいえます。
ね、人間なか、生きておりますから、なかなか難しいその、条件というかね、生きるための条件というものが、お互いあるのです。ね、例えばんなら、甘い物が好き、辛い者が好きち。そういう時に、死んだ気で、じゃぁその自分の好きでたまらん、甘い物でも辛い物でも断つことができる。
ですからですね、そういうところをです、皆さん、良いですか。私は死んでも構いませんからおかげを下さいということは、ね、一生懸命になるということと同時にです、自分例えばね、死んだ気になって改まります。
例えばなら、甘い物が好きな者は、甘い物を断ちますとこういう。ね、私はこの甘い物を、大変好きな物なんです。この辛い物はもう本当に、これがないなら生きる楽しみがないぐらいに好きなもんです。けどもその好きな物でも断ちます。ね、断ちますから、どうぞおかげを頂かせて下さいということは、これはもう死んだ気でお願いをすることになるのですよ。そうでしょうが。
ね、そこで例えば、んなら、私がその辛い物を一生断ちますといったような、難しい事を言うと、そのかわり私がそれを破ったら、命を(召される?)かも分からんのですから、そういうことはなかなか、神様にもお約束できません。
ね、何時何処で、もしものことがあるやら分からんのです。ね、そこで私はです、ね、許されるまでは頂きませんというようなことぐらいなら、皆さん出来りゃせんかと思うのですね。
ね、だから、本当にぎりぎりのお願いをさせてもらう時にはね、そのくらいの願いはせにゃいけませんよ。ね、許されるまで、神様が。神様がお預けをしておるようなもの。神様が頂いても良いとお許し下さった時には、頂かせてもらうと、ね。
私はそのくらいな一生懸命なものは、神様の前に披瀝しなければです、只願います、頼みますだけではいけないと私は思うんです。ね、そこにです、私は十分の徳を受けよと思えば、ね、死んでもままよと。ね、ままよという心を出せ。ままよとは死んでもままよのことぞと仰る、私は信心が、として神様が受けて下さり。ね、そこにお徳の頂けれる道が開けて来る。
今日はここんところを、こう始めてこういう風な、あー、解説を頂きましたわけですね。ですから、私共が信心させて頂いておって、いわゆる段々我情がなくなり、我欲がなくなり。ね、いうなら、どうでも良いというような、どうでも良いちゅうて、信心の方もどうでもようごつなったらつまらんですね。
信心の方はいよいよ有り難うなって来て、例えば願うそのことは、右であろうが左であろうが、御神意のままにお受けいたしますというような心の状態が開けて来ることは、願いとしなければなりませんが、ね、けれども、とりわけ特別というようなお願いをする時。例えば、息子の病気がとね、もう医者は難しいというような時にです、助けて下さい。これは親の情なんです。
助けて下さいと願わしてもらう。その助けて下さいを、もう死んでもようございますというて願いになんね、出来るはずがないじゃない。と、どうでもこうでも助けてもらいたい。そのかわりに私が死んでも構いませんという気になれ。
私が死んでも良いということはです、なら一生懸命になることだと。その一生懸命とてもです、今いうような、人間私共はです、ね、やはり様々な生きる条件というようなものがやっぱり、ですから、その条件を無視してしまうということが、死ぬることに、ですけども、そこはなかなか出来ることじゃない。
ね、ですから、許されるまで、辛抱するとこう。許されるまでは頂きませんといったようなね、くらいな私は信心の一つの、こちらの腹をね、神様に見て頂き、見届けて頂く。ね、例えば神様が私に死ねと。ね、なら本気で死ぬ気になると。汽車の貨車の、客車の中へ入らせて頂いて、ね、けれども神様は、やはり殺しはせんという次の働きがです、から思わせてもらう時にです、ね、もう本当に死んだ気になるということが神様が求めておられるものであった。私を殺すということが神様の目的ではなかった。
只私が死んだ気になることを神様は求めたもうておったということが分かるでしょうが。ね、それこそ願ってもどうにも出来ない、私は後にも先にもこのことだけ。初めてね、教祖様厳然そして、神様、神界において御取り次ぎのお姿を拝ませて頂くといったような大変なおかげを頂いた。
ね、ですから、そういう気持ちがです、段々なくなった。今朝当たり私、これは私に下さる。もう一撃で私はつぶされた思いが・・・。「芋の煮えたもご存知ない」ね、そこでもう今までの芋は煮えとろうけれどもさ。今日、只今からです、ね、新たな、なら種芋とでも申しましょうか、ね、種芋的信心を頂かせて頂く為にはと思わせて頂いたら、ご理解22節を頂いてね、只今頂きます、死んでもままよとは私が死んでも良いという心だということを分からせて頂いた。
ここからね、新たな、又限りなく芽の出て行く種芋のおかげを頂かなければならんと、まぁ私は覚悟させて頂いたのでございますけれどもね。
どうぞご理解22節をね、今日はそのような風に頂いて。どうぞ一つお互い、結局は一生懸命の信心をせよということである。一生懸命、時にはね、あれが食べたい、というような心すら実は起らんのですよ。本当は。
ね、ですから、本当に一生懸命にならせて頂くことを一つ願わなでけん。ね、いわゆる形のお繰り合わせより、やはり心のそうしたお繰り合わせを願わなければならんということになります。どうぞ。
梶原 佳行